二中・那覇高校創立百十周年を迎えて

創立百十周年記念事業実行委員会会長
宮里 博史(21期・城岳同窓会会長)

宮里会長

県立那覇高校はその前身である旧県立二中から数えて本年10月に創立百十周年を迎える。旧県立二中は1910年に当時の沖縄県立中学校の分校として首里城の一角で創立され、入学生は100人であった。

翌年県立二中として独立し校章「ペンと剣」が制定された。1912年には嘉手納に移転したが農学校との併置問題、学生ストライキ事件、ついには入学者の減少から廃校問題まで起きた。これを当時の学校長、教員、関係者の尽力で克服し、農学校は分離され、1919年に那覇市の現在地に移転した。その後、学生数も増加し、学業、スポーツで目覚ましい成果を発揮している。

しかしながら戦中には学生にも軍事教練が課され、終戦間際に通信隊、鉄血勤皇隊に動員された196人の犠牲者は、二中健児の塔に祀られている。

沖縄戦により校舎も焼失し二中の歴史は閉じたが戦後1947年旧天妃小学校跡に首里高校那覇分校として再出発し翌年新制度のもと男女共学の那覇高校として独立した。1949年二中跡地に戻り、同年「世紀の嵐吹きすさみ,故山の草木貌変え・・」という沖縄の戦中、戦後の復興・発展を表した校歌と新校章が制定された。 1952年には生徒の手によって建築されたブロック造り校舎も竣工している。

復帰前までの公共施設が十分でなかった時期、那覇高校の校庭は野球、陸上競技、演説会、市民運動会など様々なイベントに活用された。これまで県内屈指の伝統校として明治・大正・昭和・平成・令和と歴史を積み重ね、幾多の困難を乗り越えて「和衷協同」「積極進取」の校訓のもと学業、スポーツ、文化面で、輝かしい歴史と伝統を築き上げてきた。

これまでに、4万6千人余の卒業生を輩出し、県内外で政治、経済、教育、文化、医療等各分野で目覚ましい活躍をしている。

創立百十周年を迎えて、更なる発展を期して、学校、PTA、同窓会が一体となって「創立百十周年記念事業実行委員会」を設置し、学内公募で選定した、「ロゴマーク」と「歴史を紡ぎ未来へはばたく110年」のキャッチコピーのもと記念事業の準備を進めてきた。ところが予期せぬ新型コロナ禍で式典は規模を縮小し、祝賀会、ゴルフ大会は中止となった。残念ではあるが、これも長い歴史の一場面として捉え、「記念式典・記念講演(オンライン活用)学校体育館施設・教育備品の充実、記念誌発行」を行うことにした。

県内有数の歴史と伝統ある高校として今後尚一層の発展を願うものである。

 

*沖縄タイムス「論壇」に掲載(同窓会ホームページへの転載了解済)