五十年・半世紀・人間五十年などと眩きながら、その歴史を辿ろうとしても、五十年という歳月は容易(たやす)く、辿られる時の流れではあるまい。終戦直後の貧しい時代の高校生だった私達七期生も、卒業五十周年を迎えることが出来た。若かりし頃は、毎年、開催していたわけでもない同期会を、ここ十年程は毎年次かさず行っている。齢を重ねて、互いに苦楽を共にした同期の友人に会いたい思いが膨らんできたのであろう。
花の七期生という誇り、「七」というラッキーセブンに繋がる数字の語呂合せで、7月7日7時という日程を組んで開催していた同期会。今年は五十周年という節目の年だから、大大的に楽しい催しにしようと企画した甲斐もあってか、195人という、かつてない多くの人々が馳せ参じた。特に東京在住の皆さんは大勢で参加し、華やかな彩りを添えてくださった。五十年の歳月の流れには抗し難く、頭に霜をいただいてはいるものの、童顔の面影をとどめている友人達との語らいは素晴らしいものであった。五十年の時空を超えて、互いに十代の高校生に戻っていた。
また、七期生は芸達者の人々も多く、日本舞踊の名取、琉舞・三線・ブラスバンドや声楽、チャイナダンスにフォークダンス、詩吟・ハワイアンダンスにと、それぞれの道に堪能な人々で、舞台は花ざかりであった。特に、時流に遅れまいとメールを通して「七期生のうた」の作詞・作曲などを楽しんでいる「ななメール会」の数名は若やいで見えた。
会長の源河徳博さん、記念誌委員会委員長の友利徹男さん、財務委員会委員長の高良朝政さん、事務局長の瑞慶山治さん、会計の森田孟榮さん、その他の役員の方々の皆さんのおかげで卒業五十周年記念祝賀会は賑賑しく催すことが出来た。各クラス単位の写真撮影もスームズに終えた。いよいよ、記念誌の発刊を待つばかりである。
そして、来年、私達は古称を迎える。「人生七十、古来稀也」と杜甫は述べたが、現在では、七十歳はまだまだ壮年である。平均寿命には間(ま)がある。七夕祭・銀河系・星祭と、七期生は幸運な星の下に生まれた朋友同士、ますます仲良く、夕映えの刻を輝きたいものである。