琉球新報紙より
(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-156555-storytopic-2.html)
「選抜への県勢2校出場は大変な快挙」と語るのは、50年前の1960年、県勢として初めて選抜高校野球大会に出場した那覇高校の左翼手(当時)、嘉納勝さん(65)=浦添市=だ。行方が分からなくなっていた同高の選抜大会旗もことしに入り県高野連事務局内で偶然見つかり、約40年ぶりに那覇高校に戻った。「県勢が選抜初出場したときの大会旗がくしくもこのタイミングで見つかった。2校出場と合わせ喜びも2倍」と満面の笑みをこぼした。
戦後、沖縄は選抜大会への出場機会がなかったため、日本高野連は県勢を選抜に参加させようと、60年の大会に沖縄特別枠を設けた。那覇高は出場決定のためのリーグ戦を制し県代表を勝ち取った。
奥武山球場ができる前は県内試合のほとんどが那覇高グラウンドで行われていたため、甲子園球場に詰め掛けた6~7万人の観客に圧倒されたという。初日第一試合で北海高校(北海道)に1対4で敗れた。
嘉納さんは「初出場のころは負けて当たり前で、1点取って善戦したという状態だった」と当時を振り返る。時は流れ、沖縄水産の2年連続の選手権準優勝や沖縄尚学の2回に及ぶ選抜優勝など県勢が優秀な成績を収める時代に。「今は他府県の高校が沖縄と当たると嫌な顔をしている。県民もベスト8、4を期待する。隔世の感がある」と県高校野球のレベル向上を喜ぶ。
2校出場で選抜観戦する県民の楽しみも2倍に。「両校とも決勝に行ってほしいが、高望みはせず、着実にベスト4まで進んでほしい」と後輩球児らにエールを送った。(当銘寿夫)