6月23日は「慰霊の日」、県内各地で慰霊祭が開催された。
今年も「二中健児の塔慰霊祭」が城岳同窓会、那覇高校、二中健児の塔遺族会の共催で約500名が参加し、城岳公園内二中健児の塔前でしめやかに行われた。
遺族代表の照屋真さんは
「敵将のシモン・バクナー中将は日本軍への降伏勧告で『歩兵戦術の大家である牛島中将よ、いまや戦勢は決しました。この上戦闘を継続し、前途有為な青年を犠牲にするのは無益であります。人格高潔な将軍よ、速やかに戦いを止め人命を救助せられよ。明6月12日、摩文仁海岸沖の軍艦に当方の軍使を待機せしめるから、貴軍においても軍使5名に白旗を持たせて同海岸に差し出されよ。』この勧告に対し牛島中将は『親愛なる諸子よ、自今諸子は各々その陣地に拠り、所在上級者の指揮に従い祖国のために敢闘し、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大儀に生くるべし。さらばこの命令が最後なり』と命令した。何と非常な命令でありましょう。『生きてはならぬ』という厳しい軍命令と『死んではならぬ』という敵方の救命放送とのはざまに思い余って皆様は悠久の大儀の道を選ばれた者と思われます。思えば皆様は近世史上希なる殉難者でありました。然しながら我が国は皆様の尊い犠牲を経て戦後の廃墟の中から、平和を希求し個人を尊重するという民主国家に生まれ変わりました。これはあまた戦没者の計り知れない受難の上に築かれた者であることを私共は片時も忘れることはありません。」
と挨拶に中で述べた。
二中健児の塔には、沖縄戦で鉄血勤皇隊や通信隊に参加した学徒185名(5年生21名、4年生30名、3年生53名、2年生75名、1年生6名)と職員9名が祀られている。